PROFILE

音楽家 冨田勲(とみた いさお)

1932(昭和7)年東京都生まれ。
慶應義塾大学在学中に作曲家・平尾貴四男、小船幸次郎に師事し、作曲家としての活動をはじめる。
1950年代前半からテレビ、ラジオ、映画、CMなど多彩な分野で作編曲家として優れた作品を数多く残す。
74年にはシンセサイザーによる先駆的な作品「Snow Flakes are Dancing」を米国RCAレーベルから発表。
同作品では日本人として初めてグラミー賞4部門にノミネートされた。
「展覧会の絵」「火の鳥」「惑星」「バミューダトライアングル」「大峡谷」と、立て続けに発表したアルバムは、いずれも全世界で空前のヒットとなり、米ビルボード誌のクラシック部門1位や全米年間最優秀クラシカルレコードを何度も獲得することになり、TOMITAの名前を全世界に知らしめた。
また、録音エンジニアとしても常に時代をリードし、74年、79年のグラミー賞ではBest Engineered Recording部門でクアドロフォニック(今でいうサラウンド)の技術が評価されている。'84年にはオーストリアのリンツで8万人の野外コンサートを成功させ、大きな話題となった。
この立体音響や演出効果を駆使した野外コンサートは「トミタ・サウンド・クラウド」と呼ばれ世界各地で開催されている。
「音の響き」へのこだわり、旺盛な活動意欲は生涯にわたり続き、その後も「源氏物語幻想交響絵巻」「イーハトーヴ交響曲」など、伝統楽器、電子楽器という従来の枠を超えた冨田流作品を発表し続けた。
立体音響の集大成としても晩年にアルバムを次々にリリースし、音響効果をも含めた音楽は「トミタ・サウンド」と呼ばれクラシック・ファンのみならず、世界中の幅広い層から支持されている。

主な作品に「源氏物語幻想交響絵巻」、「イーハトーヴ交響曲」、NHK大河ドラマ「花の生涯」「天と地と」「新平家物語」「勝海舟」「徳川家康」、 TVアニメ「ジャングル大帝」「リボンの騎士」、番組テーマ「新日本紀行」「現代の映像」「大モンゴル」「街道を行く」 、映画「学校」シリーズ、「武士の一分」「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」

「立体音響」への飽くなき探求とその軌跡

冨田勲は、現在の主流となっているパーソナルスタジオでの音楽制作を約50年も前から始めており、音楽制作に関わる全ての工程を作曲者自身の手で行い、一貫した表現によって得られる独自の世界観、個性を確立すべく、長年探求と創意工夫を続けて来ました。そしてテレビや電子音楽の黎明期から技術発展と共に歩み、音楽文化の未来を切り開いて来ました。
特にサラウンド(立体音響)による音場表現には生涯こだわりを持ち続けていました。
冨田がサラウンドに興味を持ったきっかけは、1938年(当時6歳)父親の仕事で、一時北京に移り住んだ時に出会った「回音壁」という丸い巨大な壁でした。そこでは音が不思議な反響をして、父親の声が思いがけない方向から聞こえてくるという体験をしたのです。
これが生涯こだわり続ける「音の響き」の原点だったと冨田は話しています。
作曲家としてデビューしてまもなく1954年からNHKで放送された日本初のステレオによるラジオ番組「立体音楽堂」を冨田は担当することになりました。
ステレオという言葉が、まだ市民権を得ていないこの時代、冨田は音楽の左右の空間や響きを活かすことのできるこのステレオのためのオーケストラ曲の制作に夢中で取り組みました。(当時NHKラジオ第1と第2を使った同時放送で、2台のラジオで聞いてはじめてステレオ放送が楽しめるというものだった)
1970年頃よりシンセサイザーによる作品に着手するようになってからは、音楽制作の全てを自身の手で行えるようになったことで、立体音響作品への創作意欲もより深いものとなり、独自の世界を描こうと本格的に立体音響に取り組み始めます。
1974年にはシンセサイザーによる革新的な作品「月の光」を4チャンネル・ステレオで世界に向けて発売。
その後も4チャンネル・ステレオでのレコード制作にこだわり、次々にアルバムを発表していきます。
しばらくすると4チャンネル・ステレオのレコード自体の人気が、だんだんと下火になり冨田の立体音響への興味は次第にレコードからコンサートへと移っていきます。1979年には初めての立体サウンド・ライブ「エレクトロオペラ・イン武道館」で会場の四方と天井中央にスピーカーを配置したピラミッドサウンドを披露します。
また1984年にはオーストリア・リンツにてドナウ川両岸の地上・川面・上空一帯を使って超立体音響を構成し、8万人の聴衆を音宇宙に包み込む壮大なイベントを催しました。野外での立体音響コンサートは「トミタ・サウンドクラウド」と呼ばれ、その後ニューヨーク(1986自由の女神百年祭)、岐阜(1988 中部未来博)、シドニー(1988オーストラリア建国200年祭)、横浜(1989 横浜港開港130周年記念)、名古屋(1997 中日ドーム落成イベント)にて同様の大規模コンサートを成功させていきます。
その他にもサウンドクラウド・オペラ「ヘンゼルとグレーテル」(1990)、大阪万博「東芝IHI館」では、マルチスクリーンと12チャンネル・ステレオによる立体音響(1970)、奥三河鳳来寺山「ブッポウソウに捧げるシンフォニー」(2006)、東京ディズニーシー、アクア・スフィアのエントランス・ミュージック「3面立体音響のためのシンフォニー」(2001)などの立体音響作品を制作しています。
さらに集大成として晩年には日本コロムビアよりサラウンド作品を立て続けにリリースしており、生涯にわたり冨田の立体音響への興味が尽きることはありませんでした。